◆チュニジアにひとり◆1998.NOV◆

∞◇∞チュニスⅠ∞◇∞


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カフェ・シディ・シャバーンから見る地中海

【チュニジアにひとり】
パリに1泊して大きな荷物をホテルに預け、小さなショルダーバッグ1つ担いで、オルリー空港からのエールフランスで初めて地中海を越えました。飛行機の中に日本人は私1
人。ちょっとドキドキの冒険心と同じくらいの不安を抱きながら窓の外の地中海を眺めていると、着陸態勢に入ったというアナウンス。パリからは3時間半のフライトです。

首都の空港とは思えない小さくこじんまりした空港の入管は、入国する人が少ないにもかかわらず、1人1人にとても時間をかけていて、長い列になっていました。やっと自分
の番になりあらかじめ飛行機の中で書いておいた入国カードを渡すと、「ホテルの名前がない」とつき返されました。実は・・・チケットを購入した旅行代理店ではチュニスのホテ
ルは提携しているところがないので取れないと言われてしまったので、思い切って現地で調達しようと思っていたのでした。以前、ルクセンブルグでも現地調達した経験がある
ので、そんなに心配はしてなかったのですが・・・入管で必要になるとは!私の後ろもたくさん人が並んでいるので、すぐに判断をしなければならなく、ふと頭に浮かんだ「イン
ターナショナルホテル」の名前をあげて、なんとか通してもらいました。ふう・・。

入管を出たところにあるロビーで早速ホテルを予約するべく「観光局」をさがしました。が、ない!?確か、古いガイドブックには空港の中にあるのでそこで予約できると書いてあ
ったのに・・・。パンフレットを置いてあるカウンターにいた女性にホテルの予約ができるかと聞いてみると、ここではできないので市内にある観光局に行くようにとのこと。仕方な
くロビーの中で両替をして空港を出ることにしました。そして空港を出ると・・何もない!人もいない!唖然として、「なんでこんなところに来たんだろう!」という思いが沸いて泣き
たくなりました。とはいえ、引き返すこともできず、同じく古いガイドブックに載っていた「31番」の市内行きバスを探すことにしました。
C:\Documents and Settings\oterin2\My Documents\tunisia\airp.jpg←空港の前
タクシー乗り場(といってもタクシーはない)にたむろっているおじさんに「31番」のバス乗り場を聞くと、あっちと指差して教えてくれましたが、その辺には何もなさそうな・・・?
近くに行ってみると砂埃をかぶったバス停があり、数分後に2,3人の人が集まって来たので、若い男性にもう1度確認すると、ここで待つように言われ、待っていると、確かに
31番のバスが来ました。彼が乗るように促してくれ、乗り込むとすぐに発車。市内中心部まで約20分くらいの間に、バス停ではないようなところからもたくさんの人が乗り込ん
できて、最終的にはほぼ満員の車内。終点に着いて、バスチケットも持っていないし、料金もわからないので、最後に降りようと待っていたら、車掌さんが来て私が差し出すお
金の中から料金分を取りながら、「どこに行くのか?」と聞いてきました。私はとにかく今夜泊まるホテルを見つけたかったので、「これからホテルを探さなきゃいけない」と言うと、
それを聞いていたバスの運転手と5,6人の乗客が集まってきて、いろいろとアドバイスしてくれました。「安いホテルだったら・・・あそこ。普通のホテルならここ(ちょうどバス停
の前にホテルが)」、「ここはなかなかおすすめだよ。」と周りの人が言ってくれます。私が「ナショナルホテルとかメリディアンはどう?」と言うと、「高いよ!」と。いろいろと心配し
てくれて。そんなみんなにお礼を言ってバスを降りました。実は私は安ければメリディアンでのんびり過ごそう水着を持ってきているので(笑)、まずメリディアンに向かいました。
が!部屋は空いているというものの、1泊朝食別で1万5千円。確かにパリなんかよりは安いけど、貧乏旅行の私にはやっぱりちょっと・・・(だいたい空港で両替したのが1万
5千円)なので、あきらめて、もとのバス停のところに戻り、みなさん「いちおし」のバス停の前の「エクセルホテル」に入りました。

オフィス用の雑居ビルのようなビルの重いガラス扉をあけると、とてつもなく狭いロビー(廊下?)に机が1つあり、男女2人が座っていました。恐る恐る「部屋は空いているか?
1泊いくらか?」と聞くと、「空いている。朝食付で4800円(もちろんチュニジアディナール)」とのこと。で決めました。通された部屋は、白い壁にチュニジアンブルーのドアと戸
棚。ベッドにベッドサイドの電話(電話は国際電話ができませんでした)、テレビはなし。風呂付ですが、そのバスタブの形はなぜか2段になっていて、どういう風に使えばいいの
か?いまだに不明。

ところで、今でこそ2002年のワールドカップで日本と戦った国として有名になり、国の様子や文化が紹介されましたが、私が行った1997年当時は「どこ?」「それって国の
名前?」と周りのほとんどの人がチュニジアの存在を知りませんでした。そのチュニジアに突然行きたくなってしまった私は、1997年11月に1週間の休暇を取り、
パリ経由のチケットを買って旅立ちました。当時なんとガイドブックすら出版されてなく(絶版)、頼りはチュニジア政府観光局でもらった英語のパンフだけ。でも、友達のひろみ
ちゃんがその絶版になっていた古いガイドブックをわざわざ図書館で探してくれて、Thank you!なぜ彼女が探してくれたかというと、遡ること10数年前、同僚だった彼女が少女
まんがで読んだ「チュニジアのすばらしさ」を語ってくれて、そのイメージがずっと私の頭の片隅にこびりついていて今度の旅行に結びついたので。
でも彼女「そんな話したっけ・・・?」と全く覚えてませんでしたが(笑)。

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メディナの入り口・フランス門

 【初めの一歩】
ホテルで一息ついて時計を見ると4時過ぎでした。多少疲れてはいましたが、
外に出ないことには何も始まらないと思いきってホテルの外に。
が・・・そう、すっかり忘れていましたが、この日は金曜日でイスラムの安息日。
お休みでひまな人たち(99%男性)が町中のカフェで1日中おしゃべりしている
わけで、その前を歩かなければいけないことに気がつきました。ホテルはチュニス
で一番大きな「ハビブ・ブルギバ通り」にあり、通りに沿って歩くと有名な
「フランス門」に突き当たり、その門の向こうが「メディナ(迷路のような旧市街)」
になっていて、首都チュニスの中心となっています。
まず、フランス門まで歩き、その後食事をしようと思いましたが、とにかくすごい
んです。視線が!通りのあちこちから「ジャポネ」「ジャポネ」と言っている声が
聞こえます。中には後ろから走ってきて、私を覗き込も少年たちまで!恐い!

ちなみに・・・メディナ(旧市街)の中には大規模なスーク(市場)があるのですが、
町の人には「メディナはどっちですか?」というより「スークはどっちですか?」と
言ったほうが通じました。

フランス門まで行ってUターン。逆の通りを歩きながら、どこで食事をしようかと思っていたら、アラブのファーストフードである「ドネルケバブ」の店の前に日本人の女性がいるの
を見つけました。いちおう確かめるためにフランス語で「日本人ですか?」とたずねると、「???」という顔なので日本語で聞くと、確かに日本人でしたが、私を怪訝そうな顔で
見つめていました。私としては、良かったら一緒に食事でもできればと思い、「どこか気軽に入れるレストランとかありませんか?今日はじめてきたものでよくわからなくて」と
聞きましたが、不審人物という目で見ていて(仕方ないかも)、「はあ?」「どこも同じだけど!」と冷たい言い方。これ以上何を話してもダメそうなので話を適当に終わらせて
その場を離れました。今まで、結構、旅先で友達ができて、食事したりお話したりしてきましたが、彼女とは・・・。確かにすぐに人を信用するのはいけませんが、だれかれかま
わず、不審人物扱いするのも・・・。ということで、なんだかちょっと気分を害しながら(気軽に声をかけた私が悪いのか???)、ホテルの近くにある「ドネルケバブ(サンドイッチ)
屋」さんで飲み物とサンドイッチを買い、とぼとぼとホテルに戻って、1日が終わりました。



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