いろんなところに行きました!

●1999年9月 インド●

どうしても「タージ・マハル」が見たくなって3泊5日のツアーに参加。
現地の空港に着き、到着ロビーの扉が開くとものすごい熱気とたくさんのツアーの看板を掲げた人が押し寄せてきました。
その中で私のツアーの名前を探していると・・・ツアーの名前ではなく、私の名前を書いたカードを持っている男性が!
「はじめまして、あ、あ、あのお・・私1人ですか?」「そうです。」
そんなわけで初めてのインドは私・ガイド氏・運転手の3人で、ニューデリー・アグラ・ジャイプールの3都市を周りました。
インドの観光シーズンは、10月から春にかけてだそうですが、私の行った9月末はまだまだ毎日40度以上。
3泊5日のほとんどが移動の車の中とはいえ、外に出たときの暑さはかなりのもの。でも湿気がない分なんとか耐えられました。

3都市を車で移動するのですが、毎日5~6時間の車での移動はかなりキツい。
ガイド氏は寝ていてくださいと言うのですが、寝られたもんじゃありません。
なぜならば・・・混んでるところも平気でスピードを出すし、空いている道ではブタや羊の群れを避けて飛ばすのです。
途中バイクを引っ掛けてあわてて逃げるというすごいこともしてくれました。
でも、車中で寝ずに目を凝らしていたので、いろんなものを見ることができました。
ごちゃごちゃと荒れた町や村、とにかく動物の多いこと!
以前行った、チュニジアやモロッコで見ることのできなかった「町中で歩くラクダ」を嫌というほど見ることができました。
そうそう、道沿いに熊までいました(笑)!
途中立ち寄ったアンベール城では象のタクシー
これが怖いなんてもんじゃない!死ぬかと思うほど怖くて、しっかり枠に掴まりすぎて、翌日筋肉痛になるほど)に乗ったり、
少し奮発して泊まったマハラジャの宮殿ホテルの庭でラクダに乗ったり。なんだか1人でいろんなものに乗りました。

しかし!さすがインド。私は普段お腹も強いし、気をつけていたのにもかかわらず「ヤラレ」ました。
帰る日の昼過ぎくらいからなんだかお腹の具合が・・・。本格的に「来た」のは不幸中の幸いにも帰国して家に帰ってからでしたが、
機中辛かった!帰りの空港ロビーでも、ホテル等で何度か顔を合わせた別のツアーの人も何人か真っ青になってました。
インドに行くと人生観が変わるって言いますが・・・んー?変わってませんね。3泊5日じゃあ無理でしょうけど。
1人なのでガイド氏といろいろとお話しました。
私が「日本人は無宗教だから恥ずかしい」と言うと、彼は「宗教のために戦争が起こる。むしろ無宗教の方がうらやましい」と言っていました。
なるほどそういう考え方もあるのかと納得のインドの旅でありました。

P.S. 最後に空港まで送ってくれたのはガイド氏ではなく、その上司でした(途中で交代して)。ガイド氏には空港に入る許可証がないと
のこと。これもカースト制ゆえなのでしょうか?しかしこの上司。ガイド氏(33歳)より若くて日本語も上手。更に品がある。
まるでパンコット宮殿のマハラジャのようでした。

●2000年7月 トルコ・イスタンブール●

イスタンブールは2度目。イスタンブールはParisに次いで大好きな街。ここもキャセイの香港経由便で3泊5日(笑)。
今回は友達と2人でのツアー参加でしたが、なんとツアーは2人だけ。
旧市街側にホテルを取ったのでツアーはガイド氏と徒歩で周りました。イスタンブールはブルーモスクを見ないと始まらない!
ホテルからも歩いてすぐなので、ツアーの後も何度も眺めに行きました。
ガイド氏といるときは何も感じなかったのですが・・・半日観光が終わって友達と2人になると・・・5分と静かに歩いてられないんです。
トルコ人のおにいちゃんたちが声をかけるかけるかけるかける・・・うるさーい!(^<>^)。
笑えるのは同じ人が二度も三度も声をかけてきて「また会ったね!」って。待ち伏せしてるくせに。でも驚くのはみんな日本語が上手い!
アイスクリームを買っていた後ろから「トルコのお金って間違いやすいでしょ。僕もよく間違えるんだ」って声をかけてきたにいちゃんは日本人かと思ったほど。
別のおにいちゃんたちには・・「ねえねえ、前に会ったことあるよね。来てるよね。1年前?2年前だっけ?」
「・・・ううん、15年前。」
「えーー!15年前じゃあ僕まだかあちゃんの腹の中だよー」
そばにいた彼の友達「お前おもしれーなー」
・・・これがトルコ人の日本語での会話です。(日本のコメディアンより面白い!)

7月のイスタンブールも連日40度を越えてました。イスタンブールでは気温が40度を超えると公共機関はお休みになるそうです。
でもカラっとしているので耐えられます。アイスクリームやジュースは最高に美味しいし。
暑いところで飲む熱いチャイは格別。チャイはトルコの紅茶ですが、紅茶好きの私が思うに、世界で一番美味しい!でも・・・悲しいかな、
日本では水が合わず、あの美味しさはなかなか出せません。ただ一箇所富士山の水がいいそうです(知り合ったトルコ人が日本に来て、
北海道から沖縄まで試したそうです)

トルコ料理は世界3大料理の1つですから、何を食べてもとーっても美味しい!シシケバブ・ドネルケバブ・などなど・・・。
そして有名なトルコ式風呂「ハマム」。友達はパスというので、ガイド氏おすすめのハマムに1人で行きましたが、垢すりにマッサージに大満足!
もう1つ有名なベリーダンス。オプションで連れて行ってくれるというので、私1人(ここも友達はパス)で行きました。
大きなクラブでベリーダンスと食事。ショーは2部構成になっていて1部はベリーダンス2部は歌のショーでした。
男性歌手が各テーブルを周っていろんな国の歌を歌うのですが、(2部が始まる前に30人くらいの
日本人ツアー客が帰ってしまっていて・・・)日本人客は私1人。
・・・予感的中!♪上を向いて歩こう♪が始まり、彼は私のところへ笑顔で近づいてきて・・私は日本国民を代表して歌うはめに・・・。
更に!各テーブル(各国)代表でカップルがステージに上がらされて
ベリーダンスまでやらされることになり・・・私はガイド氏と2人で・・・踊りましたよ。日本国のために・・・!?

●2001年7月 カンボジア・アンコールワット●

突然思いつくんですよね。「ん!アンコールワットに行こうっと!」って。なわけで早速査証を取り、ツアーを探すと・・・
どれもこれも催行人数に達しないのでキャンセルとのこと。ここで諦めるわたくしじゃありません。
あまり時間がないもののネットで探したら、1人でもOKのツアーを発見・・・
そして空港に着くと、やっぱり私1人だけのツアーでした(+女性ガイドのアンさん&運転手)。
しかし、このアンコールワットのある「シェムリアップ空港」に着くまで、そしてまた帰りもたーいへんでした。
(何が大変って、長くなるので次の機会に)
テンプルホテルの部屋は清潔でしたが、空港の中でもたくさん飛んでいたちっちゃいバッタが飛び交い、
ヤモリ・巨大蛾・そしてバスタブには15cmはあるムカデ、洗面台の排水口には・・・マリモ?
ディナーを食べた屋外レストランでは蚊の攻撃・蛾・ハチ・ゴキ・・・・なんのこれしき!

翌日はアンコールワットの日の出を見るために朝4時に観光スタート!
この早朝ツアーを皮切りに、ハードな3泊5日が始まりました!
事前にもらった簡単なチラシには確かに「歩きやすい靴」と書いてありましたが、こんなに歩くとは!
ちゃんとツアー内容を読んでない私も悪いんですけど・・・。
アンコールワットは3階建てになっていて、もちろん上に登れるのですが、この階段が半端な角度じゃなく、更に幅が狭い!
ほとんど爪先立って手を使って急斜面を登る山登り状態。・・・・高所恐怖症なのに・・・・。
しかし、アンさんは慣れているとはいえ、キティちゃんのビーチサンダルでさっさと登って行くんですよ。信じられない!
なんとか途中まで必死で登ったものの、頂上に行く階段がもうこれがこの世のものと思えない急斜面そして一番長い(高い)。
つい最近仏男性が落ちた(シェムリアップには病院がないので、車で6時間かけてプノンペンに行ったそうです)とのことで、
片側に手すりがついたらしいですが、手すりがあっても絶対に無理!「ついこの間日本人の女性が落ちました」って絶対に言われそうだし。
ということでパス。しかし、これだけで済みませんでした。

早朝にアンコールワットの朝日を見たばかりなのに、夕方はプノンバケンの丘からサンセット鑑賞!
このプノンバケンがまたタダモノじゃない!ガケを登るんです。ガケを。ちょうど雨季なので、雨が降ったらドロドロになるようなガケを。
やっと着いたと思ったら、更に奥に遺跡のようなものがあり、その上に登らないといけないということで・・・階段はあるものの、
アンコールワット同様狭くて急斜面。手を使ってやっと登りましたが、ふと考えると・・・サンセットということは、帰りは真っ暗ということで、
こんな急斜面をたくさんの人たちと真っ暗な中降りられるはずがないので、アンさんに「サンセット、パスします。早く帰りましょう」と言って、
さっさと(さっさとはいきませんが)降りました。ふう。。。
しかししかし、これで済むと思ったら大間違いでした!翌朝どこに連れて行かれるのかと思ったら、また山!
今度は手を使わずに登れそうでしたが登るのに1時間かかるとのこと。初期カンボジア王朝があったクバルスピエンという遺跡を見に行くのです。
着いたのが早かったせいか、他に観光客もなく、山の中。カンボジア。ガイドさんが一緒とはいえ、ちょっと怖かったです。
(帰路はたくさんの人がいましたが)
しかし、このクバルスピエンの遺跡・・・「これです」と笑ってアンさんが指をさしたのは川の中の一角。1時間登ってこれだけかい!

最終日はトンレサップ湖クルーズ。ホテルから約1時間半かなり荒れた道でした。
インドでも崩れた町並みや貧しい町・村を見ましたが、カンボジアの方がすごい!
比べるということはできませんが、よくこんなところに住んでるな・・・って感じで。初日から観光中にところどころアンさんが
「ここは日本の援助でできた道です。」とか「この学校は日本の・・・」という説明を聞きましたが、まだまだ足りない!
トンレサップ湖ですが、く・く・く・・・。狭い川を上っていくと東南アジア最大、琵琶湖の10倍という湖にたどり着くのですが、
く・く・臭い・・・。
とはいえ、臭さも旅の思い出。なんのこれしき!ちなみにクルーズの船は10人位の乗れるものでしたが、優雅に?
私とアンさんとこぎ手の少年2人だけでした。しかし、この汚い川で生活している人もいるわけだし、子供たちは楽しそうに泳いでるし。
みんな力強いなー!

インドで学習したおかげで、カンボジアではお腹は大丈夫でした。歯磨きもペットボトルのミネラルウォーターでやりました。
食事は朝・昼・晩すべてホテルのレストラン。カンボジア料理は炒め物が多く、中国料理とタイ料理が合わさったような感じ。
他のツアーも立ち寄るくらいのレストランなので味は美味しいのですが、何しろ私1人に2人分持ってくるんで・・・そんなに食べられません!
道端で何やら揚げ物をして売ってる親子がいて、それを見てアンさんが「日本でもコ○○○は食べますか?」と。
周りがうるさくて良く聞き取れなかった私は「コロッケ」と勘違い。「食べますよ」と言ったのですが・・・「コ○○○」は「コオロギ」でした。
ちゃんと訂正しましたけど。

確かに、地雷で足をなくした人がたくさんいました。車中からある広場を指差され「ここはキリングフィールドでした」と
説明を受けた時は涙が出ました。
でも、みんな前向きで明るくて、素朴な人たち。これからは幸せな国になって欲しいと祈ります。
(・・ホテルでサービスにくれたスカーフがちょっとクメール・ルージュっぽい・・・)

P.S. シェムリアップにはバンコク経由で「バンコク・エアー」に乗り換えたのですが、
たった50分のフライトでちゃんとした機内食が出るのには驚きました。それもメインのチキンのクリーム煮が暖かい。
それも美味しい!(どっかのビジネスクラスの食事より美味しい!)。更に、食事の途中にアイスクリーム(カップ)まで!
でもまあ、短時間で配るほうも大変だけど、それを全部平らげる方もすごい!(私!?)

●ぷちっとイタリア●

フィレンツェは2000年12月、パリと合わせて3泊6日のうちの1泊だけしかしてませんが、端から端まで歩きました。
なんといってもミケランジェロの丘から眺めるフィレンツェの景色が素晴らしい!写真や映像では見たことがありますが、
やはりこの目で見ないと!しかし、ここは1日徒歩観光の一番最後でバテバテだったし、その前に道で転んで足首を捻挫していたので、
丘とはいえ(丘っていうより山!)、途中で登るのをあきらめようかと思うほど辛かった・・・。
とはいえがんばって登った甲斐がありました(さすがに帰りはバスで駅まで戻りましたが)。


ヴェネツィア2001年12月。空港からフェリーに乗って1時間で島へ。
冬場は水が出ることが多く、私が行く10日前もかなりの浸水だったようですが、この日は水もなく暑いくらいの晴天!
なんていっても晴れ女ですから。ご存知の通り車が入れないので、とにかく歩きやすい街です。
イチャついたアベックに混じってゴンドラにも乗り、隅々歩きまわって、朝・昼・晩と3食たらふく食べて(イカ墨スパも食べることができました!)、
十分にヴェネツィアを堪能した2日間でした。
ただ・・・ホテルの近くで4回も待ち伏せてしてくれたピンクのネクタイのおっちゃんには参りましたが・・・(笑)。

もくじへ

inserted by FC2 system