◆◆◆VIET NAM & TOM HAP 1◆◆

◆1日目◆

2003年5月9日朝9時。ベトナム航空のチェックインカウンターでいつものように座席の指定をするために一応聞いてみました。
「今日は混んでますか?」「ははは・・・いいえ、ガラガラです・・ははは・・・」2人で顔を見合わせて笑っちゃいました。
ベトナム旅行が人気が出てきた1997年頃からベトナム行きの飛行機はいつもほぼ満席と聞いていたので、空いてるとはいえ・・・と思っては
いましたが、なんとは乗客たった15人でした。そのうち1人は赤ちゃん。クルーは12,3名。隣の北京行きの飛行機のほうが乗客が多いぞ!
6時間後、むおーんと蒸し暑いホーチミン・タンソニャット空港に到着。タラップを降りながら、2年に1度くらいはこういう蒸し暑い国もいいな・・・
なーんて考えましたが、その考えは後で撤回!入国審査を終えて空港の外に出ると、たくさんの迎えの人の中から1人の若いおにいちゃんが
私の名前だけを書いた紙を持って声をかけれくれました。超ハンサムで若いガイドのロイさんでした。そして・・・今回もツアー私1人きり・・・。

空港から市内までは車で20分くらい。15時過ぎにホテルに到着。一休みしてから外に出ました。実は今回の旅行で一番不安だったのは
道路の横断だったのです。ガイドブックはもちろん、旅行会社のしおりにも注意があり、、またいろんな人がベトナム旅行についてのHPをUP
していますが、その中には必ず道路の横断は気をつけるようにとあります。HPの中には渡るのが恐くて10分もかかったというのもありました。
信号(日本やフランス・ドイツの信号を使用)は町の角、角にありましたが、赤で止まらないバイクや強引に曲がってくるバイク、それに暴走自転車も。
おまけに信号が変わるのが早いので、信号があっても命がけ!現地の人は信号のない道路をバイクをすり抜けながら器用に渡ってますが、
私にはそんなこと絶対に無理!ホーチミン市の中心部は狭いので、どこでも歩いて行けるのですが、この命がけの道路横断と、それからもう1つ。
バイクタクシーやシクロの「乗っていけ攻撃」と物売りの子供を振り切って歩かなければいけないので前に進むのに時間がかかります。それに
ほとんどの人はほんの少しの距離もバイクや自転車で移動するので、歩いている人がいないのです!ロイさん曰く「歩いているのは外国の人」。
目立つわけです。ロイさんがホーチミン市は治安がいいと言っていましたが、それは凶悪事件がないだけで、スリ・ひったくりは日常茶飯事以上!
なので今回はゆっくり街の様子を写真に撮ることができないだろうと最初から覚悟してました。(バイクタクシー:通称HONDA:は、わりとすんなり
乗れと誘うのを断ることができるのですが、恐いのはシクロのじいさん。目をつけられたらずーっと追いかけてきます。これはかなりの恐怖!)
   ↓夕方のラッシュの前なのでバイクはちょっと少なめ。実際はこんなもんじゃないです!!!

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べトナム初めての一人歩きは、ホテル周辺をうろうろ。予め地図で見つけておいたスーパーマーケットに行き、飲み物を買いました。とにかく暑い・・・。
もう日が傾いているのにかなりの蒸し暑さ。空港を降りたときに考えたことは、たった2時間後に撤回!暑い・・・。ダラダラと2時間くらい歩き、そろそろ夕食を
食べてホテルに戻ろうと思い、ガイドブックにあったホーチミンで一番美味しい「バインセオ(ベトナム風お好み焼き)」の店に行きました。レストランというより屋台風。
現地の人でいっぱいでした。生春巻きも美味しそうでしたが、ここはやっぱり「バインセオ」。それとレモンジュースを頼みました。すぐに運ばれてきたのは
大きなお皿いっぱいに乗った「バインセオ」ともう一皿には山と積まれた葉っぱ。店員に「バインセオ」を小さく切って、葉っぱにくるんで食べろと言われましたが、
やっぱり生野菜はお腹に良くないので、バインセオだけ食べました。もう1杯ジュースを頼んで、料金は全部で日本円にして200円。安い!あーお腹いっぱい!

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 ◆2日目◆

ビュッフェ式のおいしい朝食を軽めにとって、今日はツアーで「クチ」へ。「クチ」はホーチミン市内から車で1時間半、ベトナム戦争が激化している当時、
南ベトナム解放民族戦線(通称:ベトコン)の基地が置かれていた「クチトンネル」があります。なんとトンネルの全長は250km!クチ専門のガイドに
つれられて、1時間ほどのツアーに出発。1人がやっとはいるトンネルの狭い入り口は痩せていて小柄なベトナム人ならではのもの。日本人だとお腹が
つかえて入ることはできないでしょうね(誰とは言いませんが)。塹壕やアメリカ軍が使っていた戦車、今も残る爆弾の落ちた痕。手作りの武器・爆弾。
落ちると鋭い鉄が刺さるようになっている落とし穴(考えただけで痛そう)。見学の途中、サソリに遭遇!ひえー!トンネル体験では、クチのガイドと
私の2人だけでまず30mのトンネル。その次に20mのトンネルの中に入りました。小柄な私もかなり身をかがめなければ通れないせまいトンネルで、
空気穴があるとはいえ、暗くて暑くて息苦しい・・・。実際は地下3階にも及ぶトンネルは小さな農具を使って手作業で掘ったとのことですが、空気穴も敵に
わからないように見事にカモフラージュされ、また台所から煙がでないように、煙突を遠くに出し、その上に木の葉をかぶせてわからないようにしてありました。
地面は堅い粘土質で、とてもすべりやすく、雨が降ったら歩くのも大変だっただろうと思います。木が生い茂るジャングルの中、虫はたくさんいるし(前日の
雨で道には巨大ミミズが大量に・・!)、足元は悪いし、戦争とはいえ、こんなところで息を殺してじっとしているなんて・・・考えるだけで息が詰まりそうでした。
途中、お茶とおイモ(戦時中も食べていたという)で休憩。おイモには塩をつけて食べるのですがこれがなかなかいける!腹が減っては戦はできぬ・・・

展示品として置いてあるアメリカ軍の戦車。でもこんなのがジャングルの中 突然出てきたら・・・と思うと。

  

今も残る塹壕。この中を縦横無尽に走り回り、身を潜めて・・・/ 落とし穴の1つ。落ちると先の鋭い鉄の棒が針のように刺さる。

地下トンネルの中の会議室。今は見学できるように上の方に作り変えてある。

 

手作りの手榴弾や地雷。アメリカ軍の不発弾などを作り変えた。/ トンネルの出入り口の1つ。普段はふたをして木の葉で隠してある。

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